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第66話 や
まとことばは純粋か(2) 日本語の音節は母音で終わる開音節である。しか
し、唐代の中国語の音節は閉音節であり、[-p]、 (1)中国語原音が入声音[-k]で終る場合。
築(つく)、槅(かき)、析(さく)、閾(ゆか)、竹(たけ)、麦(むぎ)、琢(とぐ)、 これらのことばの古代中国語音は築[tiok]、槅[kek]、析[syek]、閾[hiuək]、竹[tiuk]、麦[muək]、琢[teok]、剥[peok]、酪[glak] と推定される。古代中国語の入声音[-k] は、弥生音では母音が添加されて現れる。記紀万葉 のなかでこれらのことばに相当すると思われるものには、つぎのようなものがある。 み
もろに都久(つく)や玉垣(古
事記歌謡)、 これらの例は音仮名表記のものが多く、都久(つ く)、賀岐(かき)、佐苦(さく)、刀具(とぐ)がカールグレンの指摘する「築」、「槅」、「析」、「琢」と対応しているかどうかは、これだけの資料から は判断することは困難である。しかし、文献時代の初期から日本語には「つく」、「かき」、「さく」、「とぐ」ということばが使われていたことは明らかであ る。これらのことばは、古代中国語の「築」、「槅」、「析」、「琢」と音義ともに近いことから、中国語から借 用した語彙である可能性も否定できない。 ○垣(かき) カールグレンは「槅」が日本語の 垣(かき)の語源だとしている。「槅」と垣(か き)は音は近いが意味が少し離れすぎてはいないだろうか。古代中国語の垣[hiuan]の日本漢字音は 垣(エン)である。中国語の喉音[h-]は日本語にはない音である。しかし、[h-]は[k-]と調音の位置が 近いことから日本語ではカ行であ らわれることがある。雲[hiuən]、熊[hiuəm]が日本語で雲(く も)、熊(くま)であらわ れることはすでにみたとおりである。垣(かき)が中国語からの借用語 である可能性は否定しきれない。問題は中国語の韻尾[-n]がどうして日本語ではナ行ではなく、カ行 であら われるのか、ということになる。これに対する答えは王力の『同源字典』のなかにある。 王力によれば暮[mak]と晩[miuan]は通転であり、同源だという。また、額[ngeak]と顔[ngean]、幕 [mak]と幔[muan]、隙[khyak]と間[kean]、曳[jiat]と引[jien]なども同源であるという。韻尾の[-n]と[-k] 中国音韻史のなかでも転移がみられるのである。 ○閾(ゆか) 中国語の「閾」は「しきい」が原 義であり、意味が離れ過ぎている。日本語の「ゆ か」はむしろ、古代中国語の床[dzhiang] の 頭音が脱落して床(ゆか)になったと考えたほうが自然 であろう。王力によれば陶[du] と 窯[jiô] は音が近く同源であるという。中国語では[d-] の次にi介 音 がくると[d-] の音が脱落することが多い。 例:多(タ)・移(イ)、 途(ト)・余(ヨ)、 誕(タン)・
延(エン)、 床[dzhiang]の頭音が脱落すれば床[jiang]
となり、弥生音では日本語の床(ゆか)になる。また、語 頭の子音が生きていると床(とこ)になる。日
本語の「ゆか」は中国語の「閾」ではなく「床」に 由来すると考えられる。 ○ 琢(とぐ) 「啄」と「とぐ」も意味の乖離がかな りある。琢[teok] が日本語と関係があるとすれ ば、むしろ「つく」 あるいは「つつく」ではないだろうか。日本語では中国語の一音節を二音節で 表わすことがしばしばある。啄「つつく」もその例であろう。 例:琢[teok](つつく)、 続[ziok](つづく)、綴[tiuat](つづる)、畳[dyap](たたみ)、 ○酪(さけ) 「酪」は乳漿であり、意味のうえで
は日本語の「さけ」と関係があるかも知れない。 しかし、音のうえでは、日本語の「さけ」にもっと近い中国語をほかに求めることができる。酢 [dzak]、醋[tsak] は日本語の「さけ」に近い。また、董同龢によれ
ば、「酒」の古代中国音は[tsiog] であり、韻尾に[-g] の音が
あった。日本語の「さけ」は古代中国語の「酒」の発音を留めている可 能性がある。 ○ 竹(たけ)、麦(むぎ)、剥(はぐ) 「竹」、 「麦」、「剥」については、万葉集にも用例もあ り、音韻対応さえ認められれば、中国語からの借用語である可能性はある。「竹」、「麦」、 「剥」が中国語か らの借用語であると、にわかに認めがたいのは、これらのことばには、竹(チ ク)、麦(バク)、剥(ハク)という漢字音がすでにあり、竹(たけ)、麦 (む ぎ)、剥(はぐ) は「やまとことば」だと考えられやすいからである。呉音、漢音のほかに中国語音があるというこ とは、普通学校では教わらない。し かし、 竹、麦などは古代中国語の竹[tiuk]、麦 [meak] も中国語 からの借用語であり、弥生時代の借用 音が 竹(たけ)、麦(むぎ)であり、奈良時代以降に日本漢 字音として定着したのが竹(チク)、麦(バク)である可能性が高い。 日本語には古代中国語の韻尾[-k] を留めていると思われることばはほかにもある。 例:額[ngeak] (ぬか・ガク)、束[sjiok] (つか・ソク)、 塞[sək] (せき・ソク)、 「奥」の古代中国語音は奥[uk] であって、随唐の時代には奥/ö/ と発音されるようになった。日本語の奥「おく」は 古代中国語音に対応している。そして、奥「オウ」は隋唐の時代以降の中国語音を反映したものである。 直(チョク)は植(ショク)と声符が同じであ り、サ行音とタ行音がある。「真直」の直(すぐ)はサ行であり、「正直」の「じき(ぢき)」も現代の日本語ではサ行である。「すぐに」、「じきに」などの 日本語は中国語からの借用語から派生している。複合語では、閉塞[pyet-sək]ふさぐ、仇敵[giu-dyek]かたき、などの語源も中国語である可能性がある。 借用語には名詞ほうが動 詞より多いのが普通である。しかし、動詞や形容詞も借用されないわけではない。「着く」、「作 る」、「濁る」、「漬ける」、 「索(さが)す」などは日本語の動詞として定着して、活用する。 (2)中国語原音が入声音[-t] で 終る場合。室(さと)、熱(なつ) 「室」、「熱」の古代中国語音は室[sjiet]、熱[njiat]と推定される。記紀万葉のなかで「さと」、「な つ」に相当すると思われるものには、つぎのようなものがある。
吾妹子が里(さと)にしあれば(万葉集)、 ○ 室(さと) 記紀万葉のなかには「室」を里、 「熱」を夏にあてた用例は見出せない。万葉集では「さと」は里、郷、佐刀、散度、五十戸などと表記されている。 ○ 熱(なつ) 万葉集では「なつ」は夏、奈都などと 表記されていて、「熱」と記された例はない。しかし、「熱」は万葉集では「あつい」にあてられている例がある。 例:熱爾 汗可伎奈気 木根取 中国語の「熱」は日本語の「あつい」の語源で
あろう。古代中国語の日母[nj-] は朝鮮漢字音では規
則的に脱落して、熱(yeol)になる。日本語の熱(あつ)は韻尾のtは留めてい
るが、語頭の日母 [nj-] は朝鮮語と同じように失われている。朝鮮語の
「夏」は夏 (yeo-reum)である。朝鮮語の夏 (yeo- (3)国語原音が入声音[-p] で 終る場合。邑(いへ)、蛺(かひ・こ)、湿(しほ)、「邑」、 「蛺」「湿」の古代中国語音は、邑[iəp]、蛺[keap]、湿[sjiəp] と推定される。中国語の韻尾[-p] は、日本語では、旧かなづかいでは「ハ行」 で表された。例えば蝶[thyap] は「てふ」と書かれた。 現代の日本語では音便化 し て「ちょう」となっている。(ここでは便宜上旧かなづかいで表記する ことにする。)記紀万葉のなかで「いへ」「かひこ」「しほ」に相当すると思われるも の を探して みると、次のようになる。
家(いへ)聞かな告らさね(万
葉集)、 ○邑(いへ) 「家」は万葉集では家、宅、伊 弊、伊倍、伊敝、伊閉、以弊、伊返などの文字が使 われていて、「邑」の例はない。日本語の家(いへ)に近いことばは中国語にはない。朝鮮語の 「家」は家(jip)である。日本語の家(いへ)は朝鮮語の家(jip)の頭音が脱落したのものである可能性 がある。 ○蛺「かひ・こ」 「蛺」は万葉集では「養蚕」 あるいは「養子」としてあらわれる。万葉集の「養 蚕」を「かふこ」と読むと、万葉集には「かひこ」という用例はないことになる。『倭名抄』に 「蠶和 名賀比 古」とあるので、少なくとも平安時代には「かひこ」という日本語はあったことは確 かである。『倭名抄』は平安時代の古語辞典だから、奈良時代の日本語に 「かひこ」という日本語 があった可能性がある。「蚕」は平安時代以前から「かひこ」と呼ばれていたからこそ、『倭名 抄』は「蚕」を「かひこ」とした のでは なかろうか。 古事記歌謡には「こちごちの山の賀比(かひ) に」とあり、「かひ」は「峡」と考えられている。 柿本人麻呂が亡くなったとき、妻の依羅娘子が詠んだとされる万葉集の歌に、「今日今日とわ が 待つ君 は石 川の貝に(一に云う、谷に)交りてありといはずやも」(万224)という歌が ある。 「貝」は「谷」であると注にあるところから、「かひ」は「峡谷」ではないかとされている。万葉 集が編纂された時代には、峡[keap] はすでに峡(かひ)ではなく峡(キョウ)と発音さ れるように なっていたにちがいない。万葉集の編者は「かひ」に「貝」の字をあてたが、「峡谷」という伝承 もあることを喚起するために、「谷」と注記し た のであろう。 甲斐の国の「かひ」ももとは「峡」であろう。甲[keap] が発音の変化によって甲(かひ)から甲 (コ ウ)と なってしまったために、「甲」は「かひ」とはよめなくなってしまった。そのために、 「甲」のあとに「斐」を添記して、「甲」は甲(コウ)ではなく、甲 (か ひ)と読むべきことを示 したものである。古代の日本語では「蛺」、「峡」、「甲」、「蝶」などは蛺(かひ)、峡(か ひ)、甲(かふ)、蝶(てふ)と して、 日本語に取り入れられた。結論として日本語の「かひこ」 は中国語の蛺蠱[keap-ka]の借用語である可能性がある。 ○ 湿(しほ) 中国語の湿[sjiəp] が日本語の塩「しほ」の語源であるとするには、意
味が離れすぎ ている。「湿」は「塩」ではなくて湿「しめる」の語源であろう。古代日本語では第二音節は濁音 になる傾向がある。中国語韻尾の[-p] が清濁音[-m] になって「しめる」
になることは十分考えられ る。日本語の「塩」の語源は不明である。万葉集では「しほ」は塩、潮、之保、思保、志保、之 富、斯抱、四寳などと表記さ
れ、「し
ほ」は「塩」と「潮」の両用に使われている。潮は「うし ほ」ともいう。潮「うしほ」は、新井白石もいうように、「海潮」であろう。 古代中国語の韻尾[-p] は古代日本語では普通、ハ行、マ行、バ行で現れ る。 例:吸[xiəp]
すふ、 合[həp]
あふ、 踏[thap]
ふむ、湿[sjiəp]
しめる、 複合語 では「かぶと」がある。日本語の「かぶと」の語源は甲兜[keap-to]であろう。日本の古地名 でも漢字の韻尾[-p] をハ行、マ行、バ行で表しているものがあり、古代 中国語音に近い音を伝えて いる。 例:愛甲 あゆかは、
邑楽 おはらき、 雑賀 さひか、
給黎 きひれ、 甲斐の「斐」、揖保の 「保」、揖斐の「斐」はいずれも、ハ行の末音を明らかにするための末音添 記である。末音添記は新羅の郷歌や漢訳仏典によく使われてい ることはすでに述べた。鹿児島県の 揖宿は「揖宿」では揖宿(いぶすき)と読めなくなってしまったために「指宿」と変えてしまっ た。 |
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