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第24話 万葉集は解読できるか 万葉集は、難読歌といわれるものでなくても、読み方が確定していないものが多い。つぎの歌は天智天皇(=中大兄皇子)の歌とされ、万葉集のなかでも屈指の秀歌とされているが、読み方が確定しているわけではない。 渡津海乃 豊旗雲爾 伊理比紗乃 今夜乃月夜 清明己曾(万15) この歌は一般につぎのように読みくだしている。 わたつみの 豊旗(とよはた)雲に 入日さし 今夜(こよい)の月夜 清明(あきら)けくこそ 最後の「清明」の部分の読み方については、古来さまざまな説がある。古くは「スミアカクコソ」であった。それを江戸時代に賀茂真淵が「アキラケクコソ」と読みかえた。主な読み方をあげてみると次のようになる。 ス ミアカクコソ(仙覚・契沖)、アキラケクコソ(賀茂真淵)、サヤニテリコソ(佐々木信綱)、キヨクテルコソ(伊藤左千夫)、キヨクアカリコソ(武田祐 吉)、マサヤケクコソ(島木赤彦)、サヤケカリコソ(齋藤茂吉)、キヨラケクコソ(折口信夫)、マサヤカニコソ(沢瀉久孝) このほかにもキヨクテリコソ、スミアカリコソ、サヤケシトコソ、サヤケクモコソ、サヤケカリコソ、マサヤケクコソ、マサヤケミコソ、などの読み方がある。これを整理してみると、つぎのようになる。 「清」 スミ、アキラカ、サヤカ、マサヤカ、キヨシ、キヨラカ、 齋 藤茂吉は「ここは、スミ・アカク、或は、キヨク・テリ、或は、キヨク・アカリの如く小きざみになつては、一首の堂々たる声調を結ぶことが出来ない」とし て、「サヤケカリコソ」と読むことを提案している。茂吉はまず歌の解釈はかくあるべしとして、あるいは万葉歌の調べはかくあるべしとして、従ってこの歌は このように読むべきであるとしている。佐々木信綱、齋藤茂吉、折口信夫などの諸家がそれぞれの解釈を示している。原本の「清明」は、音ではなく訓で書かれ ているために、いく通りもの読み方が可能になる。現代の歌人や万葉学者は、自分の心のなかに万葉歌のあるべき格調、姿を思い描いて、天智天皇の歌にもとづ いて、我が心の万葉歌を詠んでいるようにもみえる。 万葉集には 「清明」という用例はほかにはない。高木市之助によれば「きよし」ということばは、万葉集では音仮名によるもののほかに、「浄」、「不穢」、「清」などと 書かれている。また、「さやけし」は、「浄」、「明」、「亮」、「清」などと書かれている。使われ方の頻度を表で示すと、つぎのようになる。
音仮名 浄 不穢 清 明
亮 計 「きよし」というのは川、浜、瀬などによく使われる。「吉欲伎月夜尓」(万3900)「伎欲伎都久欲仁」(万4453)のように、「きよきつくよに」と月を清 いという用例もある。「さやけき」も川などに使われることが多い。「川見れば 左夜気久清之」(万3234)では川を「さやけくきよし」と詠んでいる。 「まさやか」は「色深く 夫(せな)が衣は 染めましを 御坂たばらば 麻佐夜可尓美無」(万4424)のように、衣の色が「まさやか」である、というように用いられている。 漢 字の「清」と「明」は意味が近い。万葉集でも「不清」を「おほほしく」(万982)と読み、「不明」もまた「おほほしく」(万1921)と読みくだしてい る例がある。「山川乎 清清」という用例もあって、これは「山川を 清(きよ)み清(さやけ)み」(万907)と読みくだしている。しかし、これとても 「川見れば さやけく清し」のように「山川を さやけく清(きよ)み」と読むこともできる。訓読の漢字は、いわば漢語の日本語への翻訳だから、さまざまな 読み方が可能であり、日本語としての読み方はひとつに確定し難い。 記 紀万葉時代の「清」には「すがし」という読みもある。古事記には「清明」という文字が使われている。須佐之男命が天の安の河で天照大御神と誓約を交わし、 天の石屋戸で勝ちさびるところで「我心清明」といったのがそれである。本居宣長は『古事記伝』でこれを「我が心アカキ」と読ませている。最近の学者は「我 が心キヨクアカシ」と読んでいる。須佐之男命は、出雲の須賀の地に着いたときに、「我御心須々賀々斯」といっている。これは音で書かれているから、「我が み心スガスガシ」とよむことは間違いない。日本書紀では同じところが「吾心清清之」という表記になっている。日本書紀の「清清之」は、古事記と同じ場面だ から、「スガスガシ」と読むのが自然であろう。 「清」の古代中国語音は清[tsieng] である。性[sieng] を性(セイ・さが)と読むことからして、清(セイ・すが)という読み方があってもおかしくない。日本の古地名でも相模(さがみ)、香美(かがみ)、香山(かぐやま)、當麻(たぎま)のように、相[siang]、香[xiang]、當[tang]など中国語韻尾の[-ng]はガ行で読んでいる。中国語の韻尾[-ng]は古代中国語音では[-g]に近かったのである。しかし、人麻呂の歌は「清明」を「すがらけくこそ」と読む提案は誰もしていない。「すがらけくこそ」では歌の調子がととのわず、万葉秀歌にはふさわしくないからであろう。 音読の漢字で書いた歌では、大伴家持の歌に「磯城島(しきしま)の 倭の国に 安伎良気伎 名に負う伴の緒 こころ努めよ」(万4466)という歌がある。字音で表記されているから、万葉の時代に「あきらけき」
ということばがあったことが確かめられる。記紀歌謡のように字音だけで書いた歌は当時の日本語の姿を復元できるが、漢字の本来の意味を生かして、訓で書いた万葉集の歌が、むしろ解読できなくなってしまっている。 |
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